古代日本国成立の物語

素人なりの楽しみ方、自由な発想、妄想で古代史を考えています。

前方後円墳

前方後円墳について思うこと

ただいま物部氏についての妄想レポートを執筆中で、なかなか当ブログに投稿する余裕がないのですが、場つなぎで少しだけ書いてみます。以前に、前方後円墳は神仙界を表した壺形古墳である、との説に賛同して自分なりに検証した結果を「前方後円墳の考察」と…

周溝墓が古墳に発展したのか(後編)

前編で書いたような私の実体験や想像をもとに考えると、方形周溝墓であれ円形周溝墓であれ墓を溝で囲む一番の目的は、墓の領域を示すためであったと思うのです。また、周囲から水が流れ込んできた際にそれを受け止める目的もあったかも知れない。もともと方…

周溝墓が古墳に発展したのか(前編)

この4月に讃岐と阿波を巡って以来、前方後円墳の成り立ちについて改めて思考を巡らせているのですが、そんな中、ゴールデンウイーク明けに母方の田舎に墓参りに行った際に、以前より考えていたことが確信めいたものになったので、そのことを書いてみたいと思…

古墳時代の始まりはいつ?(前方後円墳の考察⑯)

これまで15回にわたって投稿してきた「前方後円墳の考察」シリーズですが、最後に「古墳時代の始まりをいつとするのが妥当なのか」について考えて終わりたいと思います。 弥生時代、壺形土器の供献や棺に朱を敷き詰めるなど、各地域において共通にみられる葬…

壺形古墳説で疑問は解消(前方後円墳の考察⑮)

方形や双方中円形、四隅突出形などの各地の首長墓は3世紀以降、壺形に収斂していくことになるのですが、古墳時代に見られる古墳は前方後円墳だけではなく、ホタテ貝形前方後円墳、柄鏡形前方後円墳、前方後方墳、双方中円墳など、様々な形があります。また、…

壺形古墳の成立(前方後円墳の考察⑭)

倭国大乱を収めるために190年頃に共立された卑弥呼は、狗奴国との戦闘を続けていた250年頃に死去しました。つまり卑弥呼は60年の長きに渡って倭国を統治したことになります。卑弥呼が倭国を統治した弥生時代後期、各地で大型の墳丘墓が築かれました。吉備で…

神仙思想の反映(前方後円墳の考察⑬)

卑弥呼の鬼道は神仙思想に基づく様々な方術(神仙方術)であり、卑弥呼はその方術を駆使して人々に福を招き入れる方士であったと考えます。弥生時代から古墳出現期にかけて倭国に神仙思想が広まっていたこと、その神仙思想にもとづく儀礼が行われていたこと…

卑弥呼の鬼道は道教か?(前方後円墳の考察⑪)

卑弥呼の鬼道が道教であった可能性はあるのでしょうか。卑弥呼が女王として共立されるに足る力、すなわち、道教の教えを会得し、修行を積み、様々な術を実践できる力を持っていた人物であったかどうか、ということです。 道教ではこのような力をもった人に様…

祖霊と穀霊(前方後円墳の考察⑩)

日本においても、弥生時代の墓制である方形周溝墓から葬送儀礼に使われたとされる土器が出ます。供献土器と呼ばれるものです。弥生土器には壺、甕、鉢、高坏など様々な種類がありますが、この供献土器に使われた土器は壺が圧倒的に多いとされます。供献土器…

道教とは(前方後円墳の考察⑨)

卑弥呼の鬼道は道教だった、とする考えがあります。ここではまず道教について整理をしておきます。 道教の源流は、春秋戦国時代の諸子百家の一つである老子・荘子の思想(老荘思想)に求められます。老荘思想は道家の思想とも呼ばれ、「道(タオ)」は天地よ…

なぜ壺なのか(前方後円墳の考察⑧)

小南氏は「祖霊が鳥の形を取るとする伝承は世界の各地に見られるものであって、人類共通の祖霊についての基礎的な観念」とします。中国では神仙が鳥に姿を変えたという伝説があり、これを宗教的観点から、仙人という存在は「死を経過せずして祖霊になった人…

壺は神仙思想を象徴するものだった(前方後円墳の考察⑦)

神仙世界の山が壺形をしているとされた2つの例を見てみます。ひとつは前回取り上げた「列子」湯問篇の終北の国の壺領の記事です。領とは「嶺」つまり山のことです。 四方が平坦で外側を高い山々が取り巻いている終北の国には、中央に壺領という名の山があり…

神仙思想と壺の関係は?(前方後円墳の考察⑥)

前回は神仙思想のごくごく基本的なことに加えて、日本における徐福伝説について確認しました。今回は神仙思想と壺の関係について調べてみました。ここでは京都大学学術情報リポジトリに収録されている小南一郎氏の「壺型の宇宙」という論文が大いに参考にな…

徐福が実在したとすれば(前方後円墳の考察⑤)

徐福に関する伝承は、私が書籍やWebサイト(できるだけ公的な機関によるもの)で伝承の内容まで確認できたものだけでも、以下の通り、北は青森県から南は鹿児島県まで、日本海側、太平洋側を問わず日本全国で30か所以上になります。★印は徐福一行が上陸した…

まずは神仙思想から(前方後円墳の考察④)

卑弥呼の鬼道とは何かを考えるにあたって神仙思想についてほんの少しだけ知識を得たので、整理の意味で書き留めておきます。 司馬遷による「史記」の封禅書に神仙思想のもとになった神仙説についての最古の記述があります。戦国時代の斉の国の威王とその子の…

前方後円墳が壺形古墳でないとすると(前方後円墳の考察③)

前方後円墳は壺形古墳であるという説を検討するにあたって卑弥呼と前方後円墳の関係性について考えているところですが、壺形古墳説以外の説(Wikipediaなどで確認した範囲で)に対しての私の考えを書いておきます。 まず、方形または円形周溝墓の陸橋部分が…

前方後円墳は壺形古墳か?(前方後円墳の考察②)

前方後円墳について考え始めてから半月が経過しました。あれこれと調べたり本を読んだりしているところですが、現時点では「壺形古墳説」に興味があります。このあたりで思考の途中経過を書いてみます。 弥生時代後期後半の3世紀以降、国内各地において前方…

前方後円墳って。(前方後円墳の考察①)

前方後円墳がどのようしてできたのか、なぜ鍵穴のような形になったのか、あの形には何か意味があるのか、、、、以前から何となく疑問を持っていたものの、あまり深く考えずにここまで来ました。このあたりで改めて自分の頭で考えてみようと思いました。 以下…