古代日本国成立の物語

素人なりの楽しみ方、自由な発想、妄想で古代史を考えています。

2017-07-01から1ヶ月間の記事一覧

天日槍と大丹波王国

天日槍の渡来ルートを考えることでその後裔一族が建設した王国の姿が見えてきたが、その拠点が但馬であった。ここで思い出すのが「丹後王国」あるいは「大丹波王国」であり、丹後に降臨したとされる饒速日命である。物部氏による先代旧事本紀に描かれた饒速…

天日槍の王国

魏志倭人伝に記される帯方郡からの遣使である張政の来日を素地として書紀に都怒我阿羅斯等が記されることとなった。では一方の天日槍はどうであったのだろうか。天日槍の渡来は垂仁天皇のとき、あるいは崇神天皇にさかのぼるとも考えられ、それは3世紀中頃…

天日槍と都怒我阿羅斯等の考察②

さて、阿羅斯等が来日したときの最後の上陸地点が敦賀であったことが倭人伝に一致するかどうかは疑問が残ると前述した。実は「投馬国から邪馬台国への道程」ですでに書いた通り、倭人伝の行程で出雲を出て水行10日後の上陸地点について「丹後半島の手前、…

天日槍と都怒我阿羅斯等の考察①

垂仁紀に登場する天日槍と都怒我阿羅斯等について、この二人を同一とするか、それとも別人と考えるか。「垂仁天皇(その7 天日槍の渡来)」を書いた時点では時間をかけて考えようとして継続検討課題としていたが、その後にいろいろと頭を悩ませた結果として…

比売許曽神社

ちょうど天日槍を考えている最中の2017年7月10日、朝から本社で会議を済ませて別のオフィスへ移動する途中、ふと思い出して立ち寄った。場所は大阪市東成区、鶴橋駅の近くである。 日本書紀では垂仁天皇紀の都怒我阿羅斯等(大加羅国の王子)の話に、古事記…

垂仁天皇(その10 田道間守)

垂仁90年、天皇は田道間守(たじまもり)を常世国へ遣わして非時香果(ときじくのかぐのみ)を持って帰るように命じた。非時香果とは橘のことだと言う。10年後、田道間守はようやく非時香果を見つけて持って帰ってきたが、残念ながらその前年に天皇は崩…

垂仁天皇(その9 天日槍の神宝②)

古事記、書紀、旧事本紀の3つの史書がこの順で編纂されたことを念頭に、順に神宝を考えてみたい。最初に編纂された古事記によると、天日槍は8種の宝物を持って渡来し、伊豆志(出石)神社に収めた。この8種の神宝は伊豆志之八前大神(いづしのやまえのお…

垂仁天皇(その8 天日槍の神宝①)

垂仁88年、天皇が群卿(まえつきみ)に対して「新羅の王子、天日槍が初めて来日したときに持ってきた宝物は但馬にある。但馬国の人に尊ばれて但馬の神宝となっているが、その宝物を見たい」と言った。その日のうちに使いを派遣して天日槍の曾孫である清彦…

垂仁天皇(その7 天日槍の渡来)

書紀の垂仁紀には都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)と天日槍(あめのひぼこ)という二人の渡来人が登場する。少し長くなるが、両者の渡来について確認する。まず都怒我阿羅斯等から。 ある説によると、都怒我阿羅斯等は崇神天皇のときに日本に聖王がいると聞…

垂仁天皇(その6 石上神宮)

垂仁天皇は日葉酢媛との間に5人の子を設けた。順に、五十瓊敷入彦命(いにしきいりひこのみこと)、大足彦尊(おおたらしひこのみこと)、大中姫命(おおなかつひめのみこと)、倭姫命、稚城瓊入彦命(わかきにいりひこのみこと)である。垂仁30年、天皇…