2026年6月21日、神島2日目。雨が上がって青空が広がったものの、朝から霧が立ち込めてちょっといやな予感。しかも蒸し暑い。でもまあ、少なくとも雨が上がってよかった、と言いながら宿を出て八代神社に向けて歩き始めると霧が晴れてきた。

島一周のスタートです。いきなり200段以上の上り階段ですがワクワクです。

まずは八代神社を参拝。きれいに整備されていて社殿も新しい。



伊勢神宮遷宮のあと、おさがりの神材で遷宮が行われることは知っていたので、前回がいつだったのかを友人に聞くと「2年前」と教えてくれた。

この遷宮奉賛寄附の芳名簿を見て驚いた。小久保さんが多いというのは聞いていたけど、これを見ると半分くらいが小久保さんだ。藤原さん、寺田さんもそれぞれ1割くらい。宮司さんが藤原さんで友人の旧姓が寺田さんです。境内には神宮遥拝所もありました。

八代神社のことは書きたいことがたくさんあるけど、それはまた別の機会にして、先に進みます。神社を後にして境内裏手の坂道を登っていきます。この道は映画で三浦友和や鶴見辰吾が演じた久保新治が魚をもって灯台守が住む官舎まで歩いた坂道。いまはこんな感じで歩きやすくなってます。


しばらく行くと到着。


日本の灯台50選にも選ばれた神島灯台。昔は島民なら中に入れたらしいのですが、さすがに今はダメになったようです。


でも、灯台もさることながら、ここからの眺望は息をのみました。伊良湖岬が手に取るように見えます。すっかり霧も晴れて、最高の絶景です。

よく見えないと思いますが、たくさんの小さな漁船が漁をしています。この幅4キロの狭い伊良湖水道が伊勢湾と太平洋を往来する大型船の通り道。でも大型船が通れるところは幅1.2キロしかないらしい。しかもそこは絶好の漁場でもあるから、こんなことになります。

大型船がすれ違うすぐ近くで漁をしています。横波を受けて転覆することもあるらしいのです。
灯台からさらに山を登って先に進みます。途中、三角点のある灯明山の山頂にも行ける道があるとのことだったけど今回はパスして先に進みます。次はぜひ山頂に行ってみたい。歩を進めるとやがて下りに入り、5分ほどで監的硝跡に到着。

伊良湖岬から撃った砲弾の落下点を観測するために建てられた旧陸軍の施設です。映画のクライマックスシーンに出てきます。


「その火を飛び越してこい」と吉永小百合、山口百恵、堀ちえみらが演じる宮田初江が言ったその火が焚かれたところと言われますが、映画をよく見ると焚火のシーンにこの炉はなかった。あとで作ったのか、それともここで撮影されてはいなかったのか。


屋上からは志摩半島まで見渡せて気持ち良い。

監的硝跡からはずっと下り坂。途中、反対側からやってきた塩作りのお兄さんに出くわして、こんなところに連れて行ってもらった。

天の岩戸だそう。直感的に古墳の横穴式石室の天井石かと思ったけど、どうでしょう。ここからさらに下ると一気に視界が広がった。カルスト地形とニワの浜。


石灰岩はセメントの材料になることから、昔は切り出してセメント業者に売っていたらしい。さらに、その頃は海鵜がたくさんいて、その鵜の群れの糞が肥料になるからと、それを集めて売る人もいたとか。こういう話は地元民ならでは。

ニワの浜のすぐ近くにある神島小中学校。2017年に小学校と中学校が統合されて新しい校舎が建てられたそうで、小中学生あわせても10人に満たないらしい。

ここから島の西側に向かいます。

古里(ごり)の浜に抜ける途中、こんなのがありました。「南無阿弥陀佛」と彫られた碑の横に白い石が積まれています。

お墓のような感じ。友人の話だと、理由は定かではないけど、すぐ近くの鍾乳洞から持ち帰った白い石をここに置いていくらしい。神聖な場所と認識されているのでしょうか。帰宅後に調べてみると、海で遭難した人を供養する塚とか、皇子の古墳とか、デキ皇子の塚とかいった伝承があるらしい。三島由紀夫が潮騒に「王子の古墳」と記すように、この神島には古墳があるらしく、先にみた石室の天井石かと思われる天の岩戸だろうか、それともこの場所なのか、などと思案しながら調べ中です。
すぐそこに古里の浜が広がり、大きな八畳岩が現れました。

正面に立つと大きくふたつに割れていて、島の男子たちはその割れ目に飛び込むのだそう。無邪気に危ないことをするのが昔の子ども。ここも潮騒のロケ地です。
浜のいちばん左手の岩場の向こう側に鍾乳洞があるというので、連れて行ってもらいました。(ここは島民の同行がないと行けない危険なところです。)

満ち潮で波が少し荒かったのでこれ以上近づくことができず残念でした。次の楽しみにとっておこう。

このあとは貝殻や打ち上げられたワカメを採りながら浜辺を散策。浜の端っこまで行って古里の浜とお別れして再び山を登ります。



少し上ると坂道の右手に現れました。白長大明神といいます。

石の下には白蛇が埋められているらしく、浜の小石を持ってきてはこのように置いていくのだそうです。調べてみると、昔、白蛇を殺してしまった老婆が原因不明の体調不良に見舞われ、ここで白蛇を供養したら体調が元に戻ったということらしい。さらに上に行くと大きな岩があります。鏡石です。

その昔は沖合の船から見ると太陽の陽を受けて白く光っていたので目印にしたとか、浜でひと仕事した女性たちが自宅に戻る前に鏡のように光るこの石に自分の姿を映して身なりを整えたとか、この石にオイルを塗ると白く光って鏡のようになるので顔を映して化粧直しをしたとか。
島唯一の車が通れる道に出る手前にこんなところがありました。

ニワの浜の近くに神島小中学校がありましたが、移転した1970年まではここに中学校があったそう。その敷地だったところは踏み込むことを躊躇するくらいに木々が生い茂って、学校があったなんて想像もできない状況になってました。

ようやく広い道に出たところで、道がふた手に分かれます。一方はこのまま村に戻っていく切り通しの道で鼻赤峠といいます。寒風が吹きぬけるこの道を通ると寒さで鼻が赤くなるから、とか。

このまま行くと村に戻れるのだけど、こちらを選択せずにちょっとだけ遠回りとなる車の道を歩くことにしました。NTTの電話交換所、斎場、ゴミ焼却場が並んで建っています。現在は斎場は使われていなくて鳥羽まで運ばれて荼毘に付されるそう。

いよいよ港が見えてきました。この△標識は港に入る船のためのものでしょうか。ちょうど伊良湖行きのフェリーが通過中。


発電所跡地の前を通って港に戻ってきました。

出発から3時間、神島一周の旅を堪能しました。しかし、とんでもなく暑かった。最後は「かき氷を食べよう」と言って励ましあいながら帰還。そしてやま海へ。ところが、なんと、まだかき氷はやってないと。仕方なくソーダフロートで身体を冷やしました。美味しかったよ。

やま海で1時間ほど休憩してから友人宅へお邪魔し、3時の船まで時間があったのでワールドカップのチュニジア戦をテレビ観戦。そして荷物をもって港まで歩いていくと、ご近所のおばさん方が「もう船は出たよ」と。春のダイヤ改正で船の時間が変更されていたのです。肩を落とす友人。ちょうどそこへ昨日お邪魔したおじさんが通りかかって「うちに来い」と声をかけてくれたので、またしてもお邪魔することに。
おじさん宅で楽しく過ごした後、無事に18時の船に乗ることができたのだけど、波がかなり高くて奥さんが船酔いに見舞われ、なかなか厳しい帰還となりました。鳥羽から近鉄特急で伊勢中川へ、そして友人のご主人に伊勢中川駅まで迎えに来てもらって友人宅に到着。お風呂を借りて体調回復を待って友人宅をあとにしました。
この日は「道の駅ふれあいの里HASUパーク」で車中泊。翌日はメロンを買いに渥美半島まで走り、そのまま自宅まで戻ってきました。わずか3泊4日の旅でしたが、友人ご夫妻に非常によくしてもらったこと、念願の神島に上陸できたこと、その神島で友人はもとより、宮司さんやおばさん夫妻、山海荘の皆さんによくしてもらったこと、島の人しか語れない話をたくさん聞けたこと、そしてまた行きたいという気持ちが今まで以上に湧いていることなどなど、長い人生において最高、最良の旅となったのは間違いないです。皆さん、とくに友人ご夫妻、本当にありがとうございました。





(おわり)
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手前が前方部で奥に後方部。




































